Smiley face
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葬儀で祭壇に飾られた長嶋茂雄さんの遺影=8日午前8時41分、東京都内、読売新聞社提供
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 プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)で9年連続日本一(V9)の中心選手として活躍して「ミスタープロ野球」と呼ばれ、3日に89歳で死去した長嶋茂雄さんの葬儀が密葬で8日、東京都内で執り行われた。

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 喪主は次女の三奈さんが務め、親族やV9のチームメート、巨人監督時代の選手・コーチらが参列した。また、前日7日には長嶋さんの棺を乗せた車は自宅を出発し、東京ドーム周辺を通り、斎場に到着し、通夜が営まれた。

 祭壇は、長嶋さんの笑顔の写真を中央に、ジャイアンツカラー、オレンジ色の花で彩られた。

 球団の発表によると、告別式には、96人が参列した。

 王貞治さんは、「日本中のファンの心を惹きつけました。日本中があなたを追いかけました。ありがとうございました。あなたとの六十有余年、私にとっては忘れることのできない貴重な年月でした。感謝するしかありません」と弔辞を述べた。松井秀喜さんは「その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」と弔辞を捧げた。

 三奈さんは「2004年、脳梗塞(こうそく)で倒れてからは、自分との闘いを21年間続けてきました。私が見ていても胸が締め付けられるぐらい苦しい治療をたくさんしてきました。父は、きっとこの後、天国でも日課としている散歩とトレーニングを続けると思いますので、晴れた日には、皆様どうぞ時々空を見上げて、父のことを思い出していただければと思います」とあいさつした。

 7日の通夜には、阿部慎之助監督やコーチ、選手は丸佳浩や岡本和真ら参列した。

 長嶋さんは、千葉県臼井町(現佐倉市)出身。1958年に巨人に入ると本塁打王、打点王、新人王に輝き、王貞治さんと共に「ON砲」として黄金期を築いた。昭和天皇が観戦した59年6月の天覧試合でサヨナラ本塁打を放つなど勝負強さを発揮した。

 74年に「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して現役を引退。背番号「3」は巨人の永久欠番となった。

 巨人の監督としては94年に初の日本一を達成し、2000年にも王貞治監督率いるダイエー(現ソフトバンク)との「ON決戦」を制し、2度目の日本一に。01年に勇退し、終身名誉監督になった。

 04年アテネ五輪の出場をめざす日本代表監督として指揮を執り、アジア予選を突破した。しかし04年3月に脳梗塞を発症し、五輪での指揮を断念した。13年には、監督時代に巨人の4番に育てた元大リーガーの松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受けた。

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